疲労困憊

疲労困憊(ひろうこんぱい)だ。決して漢字では書けないけれど、パソコンって便利なのか学習する機会を奪うのか。。。 そうではなくて、身体の疲れがすごい、心も疲れているのかもしれない。疲れているんだろうな。身体が疲れていても、心が疲れてなく元気な時というのは楽しいもんだ。今は楽しくない。何が楽しくないのだろう。やらされてないか。俺が生きているんだ、決してあいつ等の人生ではない。何のために頑張っているの。後悔したくないから。熱くなりたい。沸々と心から湧き出る思いが欲しい。人間性って何?優しい人や良い人って何だよ。俺はそうなりたいんでしょ。何で、そんなもんに何でなる必要があるかわかれ。
とにかく、自分で納得していこうぜ。

世界観

先程リストカットのテレビを見た。内容はリストカットをする若者の写真の展示会をしたもの。
その写真家さん(28歳)は、「自分とは世界が違った」とリストカットする人について述べていた。

世界とは何だろ。みんなそれぞれに自分の意見や価値観といったものを持っており、その視点から見る景色がその人の世界なんだろう。世界が違うのは当たり前で、写真家さんはその世界を認める事といっていた、そこからスタートするんだと。その人の世界に踏み込むんではない、認めるんだね。人の数や生き物の数だけ世界がある。僕らが口にする世界は神様の景色だよ。人の心の内側から覗き込んでみても世界は変わらないし、視点も変わらない。認めなければならないよね。理解しようとする心。これが大事なのかな。

かなしばり

自分はどこに向かって生きているのかわからなくなる。人というのは意味がなければ、それは拷問と同じようなものであり、実際にロシアなどではスコップで穴を掘り、またその穴に埋めるというのがあるらしい。今の自分の周りに意味はたくさんあるのでしょう。人間関係から環境そして自分の気持ちへと。だけど、満たされぬこの思い。何に向かっていけばいいのかわからなくなる時があるのです。決して拷問ではない。好き勝手に生きているというのもある。休みの日は家でグータラしているだけである。冒険心・・・というものを掻き立てられたい。小さい頃にゲームや漫画の世界に憧れたように。あの時間は決して無駄ではなかったんだと今になってようやく思います。最近の私はきどって本を読むという行為をしていまして、嫌いなわけではない、好きなのだが、漫画やゲームのような熱中の仕方とは少し違う。面白い本に出会う事が楽しくなっている。その中身は一瞬である。あの頃は、熱中した物をお互いに話をできた。未来にむけて、出来事を反芻し再び感動した。そんな事が今はあまりない。あまりなのか、全くないのかもしれない。

知的好奇心を満たしてくれる物はなんなんだ。人生というのは疑問の探求でしかない。解決された問題に囲まれていても、疑問はあまりなく、かといって難しすぎる問題に囲まれるのもどうかというところだ。ちょうどいいあんばいに自分の身を置きたい。頭がかなしばりになったようだ。いつからだろう、胸がドキドキしなくなったのは。。。

書くという事

思いを書くという行為は、私を苦しめているんではないかと思っていました。思いを伝えるとは簡単にはいきません。だから躊躇(ちゅうちょ)し、そしてやらない事で不安が広がるという悪い循環が訪れるわけです。そんな状態です、今は。

悪い癖

悪い癖がでてきた。それは、自分に嘘をつくことである。自分に嘘を付くという行為はまとめて言ったまでで、実際にはいくつかの悪癖が重なっている。その重なった悪癖が、いつか昔に自分に対して約束した事を破っているから、つまり自分に嘘を付いた。なのである。
さて、まずはメモを取ること。これを最近しない。仕事がらできない事もあるのだが、できないのならあとでノートにまとめたりするべきである。仕事だけでなく、日常生活においてもメモする事は大切な事だ。手帳をできるだけ携帯しよう。
もう一つは、人に対して厳しく自分に甘い。まぁ自分に厳しい事もあるが、ここでは関係ない。人に対してもう少し暖かく接してもいいのではないか。敬語は使っているが、心がこもっておらずそして態度がふてぶてしい。もっと穏やかになっていいのではないでしょうか。
最後は、気持ちの表現。以前、このブログでも書いたが、感情を正直に表現する・・・ということである。今回は感情の中でも特に、怒りの部分である。ガールフレンドに対して怒りの感情があったにも関わらず、それを隠してというかそんな気持ちはないと自分に嘘を付いていた。その気持ちがある、という自覚が大切なのだ。それを表現する事も。コミュニケーションとして大事な事は、この気持ちの表現方法だろう。怒りを伝える喜びを伝えるなどあるが、この行為でどうやって相手に自分の怒りや喜びの感情を伝えるかが大事である。単刀直入に、私はおまえがムカつくんだよ!なんて汚い言葉でやり取りできる場合は良いが、そうはいかない場合もあるだろうから、言葉選びや態度、環境などまたは相手の心情、信念、年齢、教養なども重要だ。

最近の思考回路

どうした訳かはわからないが、文章にして自分の感情や思考を現すことが苦手になったようである。以前は、落ち着いた気持ちで日記を書き、本を読み、ひとつずつこなしていたと思う。しかし、ここ最近では文章に書くことや考える事を止め、本も忙しく読むことのみでその行為で満足し、気付いたら明日が今日になったという暮らしをしている。
どうした訳か。私の何が変わってしまったのだろう。安部首相の辞意表明から何か感じる事があったので今これを書いている。安部氏の志は好きだ。「美しい国」、残念ながら氏の著作は読んでいないのだが、断片的に見聞きした内容では氏の考え方に思うものがあり、内閣総理大臣という仕事を応援していた。 最近の日本はおかしい。それを気付かしてくれる内閣であったと思う。教育基本法憲法改正に伴う国民投票法などは結果として残ったが、しかしそれだけではなく氏の見せてくれたものに対して国民はもっと感じるものがあってもいいのではないか。一人の人間として尊敬したい。

久しぶりの今日。

久しぶりの日記です。昨日職場で先輩からお話をして頂いて心に残るものがありました。興味ないと言われても日記ですから書きます。
「自分が偉くなった、頭が良いと勘違いしてたんだ。」ポロッとおっしゃった言葉ではあったけど、今の私にはすごく胸に刺さる言葉でした。日々を振り返って自分を見ていない事が多すぎて、勘違いして、そして失敗に向かおうとしていたところでこの言葉を聞き、これでいいんだ。。。と思えるようになりました。現状が私な訳であって、それ以上もそれ以下も演じているに違いない。格好つけるようなウソは、格好悪いだけと知っているはずなのに、何故か繰り返す。自惚れるのは一日だけでよい。さぁ、自分を見ていこう。たゆまぬ努力をすれば結果は自ずとついてくる。追いかけてもそれは逃げるだけで、まずは目の前の事を一生懸命しましょう。余裕ができればいろいろ考えればいいと思いますよ。