日々を憂い。

最近はもっぱら読書をしている。
または、楽器を弾いたりしている。仕事をしている。ジョギングをしている。一年以上禁煙していたタバコを吸い始めたりしている。

そんな毎日が過ぎているわけだが、日本では今日も芸能ニュースや飲酒運転が話題になり、世界では戦争や核問題が取り沙汰されている。

世間とは隣人だ。

太宰治人間失格のなかでこう言っている(何年も前に読んだので微妙に表現が違っているかもしれません。)
世間というものに接して、私は生きている。世間も私に接しながら、だけども世間は私の事をどれだけ知っているのだろうか、そういう疑問を持ったとき、やけに寂しい感情に襲われた。

急に寂しくなる事がある。
家族に会いたくなったり、恋人との思い出に感傷したり、戦争について書いてある文献を読んだり(戦争に対する無力感を感じた)。。。

日々を憂いても、明日を憂いても何も変わりはしない。
ならばこのまま歩いていきたいものである。
答えを求める事が全てではないだろう。悩むこともまた道の一部だ。
さすれば、生きていくことも一歩を踏みしめていけるだろう。